天才の思考 – 鈴木敏夫

ジブリの鈴木敏夫さんが、ジブリ作品の制作秘話を一つずつ語る本です。

徳間書店の記者・編集者だった鈴木さんの映画製作に携わったきっかけ、高畑勲さん・宮崎駿さんとのそもそもの出会いから、一連の映画作りの現場の話が書かれています。

この本でとても勉強になったのは、下記2点です。

①プロデューサーとしての配給・制作
②映画と社会との繋がりの捉え方

プロデューサーとしての配給・制作

映画製作は、まさに「起業」

企画も資金集めもゼロからのスタート。コンテンツ制作は「水もの」と呼ばれるのはそのためです。当たるかどうかは全くわからない。

プロデューサーは、当てるための施策を考え、実行する。

宣伝だけでなく、全国の映画館を抑え、ジブリ映画を上映してもらう。そのための折衝を映画会社する。それが大事なんですね。

“映画というのは最終的に「配給」なんですよ。フィルムを全国津々浦々に売っていく。その営業活動がもうすごく大きい” (p189, もののけ姫)

先に上映館を予約されていた作品をひっくり返して、ジブリ作品を上映させる力技も使ったことがあるようです。

“もう時効でしょうからお話しします。契約している手前、初日だけは大きい小屋で『フック』を上映する。でも、一晩で看板から突貫工事で入れ替えて、二日目以降は『紅の豚』にしてしまう。” (p132, 紅の豚)

いい作品を見てもらえなければ、ヒットにつながらない。

そのための「売り場」の確保の苦労がたくさん書かれています。地上戦というか地味な営業活動が売れる作品・商品の影にはあるってことを痛感しました。

映画と社会- その大局観

ジブリのようなマスプロダクションを要求される立場は、これぐらい大きな枠組みで物事を考えてる。。。って勉強になった一節がこちらです。

振り返ってみると、戦後のある時期まで、映画のテーマはほとんど「貧乏とその克服」でした。(中略)ところが、高度経済成長をへて一億総中流の時代になると、もう貧乏はテーマたりえなくなります。そして、バブルとその崩壊をへて、多くの人が心に問題を抱えるようになった。二十一世紀に差しかかるころから、映画のテーマも「心の問題とその克服」に変わってきます。(p.233, 千と千尋の神隠し)

マズローの5原則ではないですが、金銭的欲求の次は心の充足ですよね。

アニメ制作の撮影方法のイノベーション(とくに高畑勲さん)、制作スタッフの組織作り(宮崎駿さん)、コストを抑える作画(宮崎駿さん)などなど、現場の細部の話もチョー面白いのですが、自分はこの鈴木さんの「大局観」がいちばんシビレました。

押井守監督や岡田斗司夫さんのジブリ評

と。。この本だけでも面白いのですが、ウラを取るって意味で、次の2冊も読むとさらに面白いです。

①押井守さんの「誰も語らなかったジブリを語ろう

②岡田斗司夫さんのAmazon Kindle ジブリ関連本、例えば、岡田斗司夫ゼミ #307 『千と千尋の神隠し』を読み解く13の謎[後編]

まず、押井守監督本は、「宮崎駿はアニメーターであって監督の才能はない」「自分の好きなことをパート、パートでつなげただけ」「宮崎作品でラストを覚えてる人っている?」「あのキャラクター可愛い。あの風景いい」っていう話ばかりでしょ」等々、ジブリ辛口批評がとても心地いいです。

この本に、こんな一節があります。「魔女の宅急便」の解説です。

鈴木敏夫は本作で何をしたかったのか? これも僕の確信的推論だけど、プロデューサーとしての自己実現をしたかった。プロデューサーには二通りしかなくて、ひとつは黒子に徹する人、もうひとつはプロデューサーとしての自己実現を目指す人、そのどっちかなんだよ。言うまでもなくトシちゃんは後者。(誰も語らなかったジブリを語ろう

鈴木敏夫さん著の「天才の思考」では、自分が表に出るような書き方はしてませんが、押井本を読むと、これだけ本を出し、ラジオもやり、美術展もやってしまうのは、黒子じゃないなと思えます。

「天才!」としか思えない宮崎駿さんと高畑勲さんに出会えたことで、バランス取るために自分を露出、語り部になって、世間の注目を自分に集めてるのかもしれません。

とにかく、プロデューサーってよりも、映像版の「編集者」って感じがします。

そんな鈴木敏夫さんは、同じく「宮崎駿」「高畑勲」を表現者として好きな人にとっては、「金儲け」をする強引な人っていうイメージがあるみたいです。

岡田斗司夫本にはこんなことが書かれています。

実は、この『千と千尋の神隠し』の裏テーマの1つが、当時、金儲けに走っていたジブリへの批判なんですね。アンチ鈴木敏夫作品でもあるんですよ。  このアンチ鈴木敏夫作品というのを誤魔化すために「油屋は風俗産業だ」という、キャッチーな、評論家受けするようなフレーズというのが生まれたわけなんですけども。(岡田斗司夫ゼミ #307 『千と千尋の神隠し』を読み解く13の謎[後編]

『もののけ姫』というのも、宮崎駿は『アシタカせっ記』という、アシタカを主人公とした話として作ってたのに、鈴木敏夫が『もののけ姫』というタイトルで先に記者会見をしてしまったので、そうなってしまい、作品のストーリー自体が誤解されるきっかけにもなりました。(岡田斗司夫ゼミ #307 『千と千尋の神隠し』を読み解く13の謎[後編]

オモロいですよね。一つのことを、違う視点で読むってことは。

ここから学べることは、

①人によって事実の認識が違うってこと。

②真実って結果、人の認識の数だけある

みたいなことでしょうか。

その違いを悪いことと思わずに、楽しむのが大事です。とくに、ジブリのようにいろんな記録が残されているものは、たくさん楽しみ方があります。

鈴木敏夫さんや岡田斗司夫さんの押井守監督への批判

いっぽう、押井守監督を批判する鈴木敏夫さんの発言も残されてます。

家にあった「宮崎駿の世界」というムック本。いま読むととても充実した内容です。

良くないのは押井守の脚本ということなんでしょうね(笑)。押井さんの作品は血が通わないんですよね。(p.16 宮崎駿の世界, 竹書房, 2005

確かに全体のストーリーは起承転結を崩している。だけど、シーン毎には、ちゃんと起承転結がある。それを集めてあるわけでしょ。だからそこの部分は忘れてないのね。二重構造になってるんですね。宮さんはそういうのは絶対に外さない。(p.17 宮崎駿の世界, 竹書房, 2005

岡田斗司夫さんも、押井守監督の作品について、ちょっとネガティブなことを言ってます。

僕が押井守の映画をあんまり面白く感じないのはなぜかと言うと、「ラストをあらかじめ決めていて、そこに至る構造がハッキリし過ぎている分、押井守本人が出てないから」なんです。(岡田斗司夫ゼミ #307 『千と千尋の神隠し』を読み解く13の謎[後編]

その作り物っぽいところが、逆に言えば思想的に辻褄が合っているというか、真っ直ぐしているので、すごく深みのある哲学のような映画は出来るんですけど、宗教のような映画は出来ないんですよ。(岡田斗司夫ゼミ #307 『千と千尋の神隠し』を読み解く13の謎[後編]

映画を思想っぽく哲学っぽく作ると押井守方向になるんですけど。(岡田斗司夫ゼミ #307 『千と千尋の神隠し』を読み解く13の謎[後編])

鈴木敏夫さんの「天才の思考」には、高畑勲監督作品は「構造的」なので、海外でウケが良いということが書いてあります。

欧州的な「映画監督」、「作家」としての「映画監督」は、高畑勲さんや押井守さんなのでしょう。

この本はiUの図書館にありますので、興味ある人はゼヒ読んでみてください。

それと、「鈴木敏夫とジブリ展」も面白いです。

この本で書かれていることの具体的なメモや記事、その他諸々が展示してあります。

鈴木さんの組織作り、人材育成などにも触れられます。